福音新聞No.6
あなたがたは、語っておられる方を拒まないように気をつけないさい。
-へブル人への手紙12章25節-
地上において、警告を与える方を拒んだ彼らが処罰を免れなかったとすれば、
まして、天から警告を与える方に私たちが背を向けるなら、なおのこと処罰を免れられません。


近年、世界各地で自然災害が頻繁に発生しています。
また、新たな感染症、戦争やテロにより、ある日突然、命を落とす方々がおられます。
みなさんはそのような不意に起きた災害や事件を知ったとき、どのようにお感じになるでしょうか。
多くの場合私たちの心の中に次のような疑問が薄き上がってくるのではないでしょうか。
「もし、善であり愛である神がいるのならどうしてあんな何の罪のない子どもやあんな良い人が死ななくてはならなかったのだろうか」と。
しかし、逆に次のように考える人もいるでしょう。
「あの人があんな目にあったのは日ごろの行いが悪かったからに違いない。何か特別な悪いことをしていたから神の審判が下ったのだ」
では、そのような恐るべき災難は果たして私たちに何を示しているのでしょうか。
聖書の中に次のような事が記されています。
ちょうどそのとき、ある人たちがやって来て、イエスに報告した。
ピラトがガリラヤ人たちの血をガリラヤ人たちのささげるいけにえに混ぜたというのである。
イエスは彼らに答えて言われた。『そのガリラヤ人たちがそのような災難を受けたから、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。また、シロアムの塔が倒れ落ちて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいるだれよりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます』
この記述から現在のイスラエル共和国の周辺でイエス・キリストが福音を宣べ伝えておられた頃に、大変残虐な事件と恐ろしい事故があったことが分かります。
そこでイエス・キリストは事件について鋭くご指摘なさり、ガリラヤ人たちが特別な罪人であったからそのような事件が起こったのではないと語られました。
さらに別の事故について同様に言及され、事故で死んだ者たちも特別な罪人であったからそうなったのではないと語られました。
むしろ、そのような事件事故はかえってそれを知る人たちに対する警告であることを明らかになさいました。
私たちは自分が神様の御前に罪人であり滅びに向かっていることを知らなくてはなりません。
そして、今自分が死んだなら聖いまことの神様に裁かれるということを恐れ、悔い改めて救いを求めなくてはならないのです。