私たちの人生は一度きりです。
この大切な人生には必ず終わりがやって来ます。人は死んだらその後どうなるのでしょうか。
多くの宗教が、様々な死後についての教えを語ります。けれども、もし聞かされた話が根拠のないものであるならばそれは悲劇です。
たとえば、本当はそこに椅子がないのに、あると思い込んで誰かが座ろうとしたらどうなるでしょうか。当然その人は尻餅をついて怪我をしてしまいます。
また、誰かが下にマットがあるものと思い込んで、ビルの屋上から飛び降りたらどうなるでしょうか。もちろんその人は助かりません。
ですから、私たちは本当に根拠のある確かなものを信頼しなければならないのです。「〇〇さんは天国に行った」、「これだけ盛大な葬儀を上げたから〇〇さんは極楽往生した」と言っても、それがもし思い込みなら、何の役に立つでしょうか。
さて、では人は死んだらどうなるのでしょうか。
ここで、イエス・キリストが死後についてどのように語っておられるのかを見てみましょう。
「しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に向かって『能なし』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者』と言うような者は燃えるゲヘナ(地獄)に投げ込まれます。」
-マタイの福音書5章22節-
このようにイエス・キリストは、人間が死んで終わりではなく、死後に罪のさばきを地獄で受けなければならないと語っておられます。
では、イエス・キリストの言われることが確かに信頼できるという根拠は何でしょうか。それは、イエス・キリストの復活です。
イエス・キリストは十字架で死なれた後、三日目によみがえられました。
では、このキリストの復活は、本当に起こった事実なのでしょうか。それとも、作り話なのでしょうか。
まず、全ての人が認めざるを得ない二つの事柄があります。
- ①キリストの体が納められた墓が空っぽになったこと
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墓の中に死体が残っていたなら、キリストが復活されていないことは誰の目にも明らかです。もしそうなら、キリストの復活を真面目に信じて、命がけでそれを伝える者たちが数多く起こるはずがありません。
- ②キリストの復活の目撃証人である弟子たちが数多くいたこと
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これは、あらゆる歴史家が認めていることです。彼らはよみがえられたキリストを見たと証言しました。彼らが厳しい迫害に耐えながら、キリストの十字架と復活を宣べ伝えた結果、キリスト信仰はどんどん広がって行ったのです。
これら二つの事実を、復活以外の理由で説明できるでしょうか。
最もあり得そうな説明は、弟子たちが死体を盗んで、キリストが復活したという嘘を作り上げたということでしょう。しかし、もしそうだとしたら、キリストの復活が嘘であることを弟子たち自身が一番よく知っていたはずです。
当時はクリスチャンに対する厳しい迫害があり、実際にキリストに対する信仰のゆえに命を奪われた人たちや、ひどい拷問にあった人たちもいました。そのような時に、殺される危険を冒してまで、自分で嘘だと分かっていることを伝える人がいるでしょうか。人は自分の身を守るためや、何か得をするために嘘をつくことはあるでしょう。しかし自分が何の得もしないのに、殺されるために嘘をつくということはあり得ません。
ですから、弟子たちもキリストの身体を盗んでいないのです。残る答えは、キリストご自身が復活され、墓から出て来られ、そのよみがえられたキリストを弟子たちが見たということです。
キリストが復活することがおできになったのは、このお方がただの人間ではなく、天におられた神のひとり子が人となって地上に来られたお方であられたからです。そのキリストが人間の死後には火の燃えているゲヘナ(地獄)があると語られたのです。
ですから、私たちはその地獄から救われなくてはなりません。
実に、そのためにこそキリストは人となってこの地上に来てくださいました。
キリストは、私たちが受けるべき罪の罰を全て、十字架の上で身代わりに受けて死んでくださったのです。
ですから、私たちは自分が本来なら地獄でさばかれるべき罪人であることを認めて、イエス・キリストを救い主として信じ受け入れるならば、地獄から救われるのです。そして、すばらしい永遠の天国に入れて頂けます。
クリスチャンは、たとえ死を迎えたとしても、天国という確かな希望を持って喜ぶことができます。
ですから、もしみなさんが、死後について根拠のない考えを持っておられるなら、その間違いを捨てて、イエス・キリストを受け入れてください。