昔、中国の古代帝国である秦の始皇帝は不老不死の薬を求めて、家来に世界中を捜して歩かせました。
始皇帝は生まれつき、体が丈夫ではなく、中国を統一した頃から不老不死を求めて、方士という宗教家を傍らに近づけるようになったと言われています。
始皇帝は方士の中でも有名な徐福(じょふく)という人に、東にあると言われている蓬莱(ほうらい)の国へ行き、仙人を連れてくるようにと命じました。この蓬莱は日本の事を指していると言われ、日本各地に徐福の最期の地といわれる場所がいくつもあるということです。しかし、彼の願いは果たされること無く、かえって方士の作った不老不死の薬で体を悪くして死んだと言われています。
不老不死というのは誰もが最も望むものでありながら、あの偉大な権力者、秦の始皇帝でもこれを得ることはできなかったのです。
考えてみれば、どんな金持ちであろうと、どんな権力者であろうと「命」や「老い」に関しては平等です。誰も好きで死ぬ者はいません。
かえって全ての人は死を忌み嫌っており、死や苦しみの無い世界、永遠のいのちに憧れているのです。聖書に次のようなことばがあります。
永遠のいのちを求めることは理にかなったことなのです。なぜなら、人間をお造りになった神様が人の心に永遠への思いを与えられたからです。
天地の創造主であられるまことの神様が最初の人アダムをお造りになったときには、死はなく、永遠に生きる存在でした。
しかし、神が食べてはならないとお命じになった木の実をアダムは食べてしまいました。そのため、人の中に罪が入ってきました。
そして、人は死ぬようになったのです。
聖書に次のように書かれてある通りです。
-新約聖書ローマ人への手紙5章 17節-
ひとりの違反により、ひとりによって死が支配するようになった
あなたの中には罪は無いでしょうか。聖書には次のように記されてあります。
-新約聖書ローマ人への手紙1章29~32節-
彼らは、あらゆる不義と悪とむさぼりと悪意とに満ちた者、ねたみと殺意と争いときと悪だくみとでいっぱいになった者、陰口を言う者、そしる者、神を憎む者、人を人と思わぬ者、高ぶる者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者、わきまえのない者、約束を破る者、情け知らずの者、愛のない者です。彼らは、そのようなことを行なえば、死罪に当たるという神の定めを知っていながら、それを行なっているだけでなく、それを行なう者に心から同意しているのです。
さらに恐ろしいことに聖書には次のように記されています。
-新約聖書 へブル人への手紙9章27節-
人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている
このように人は自分の罪のため死後に刑罰を受けなくてはならなくなってしまったのです。
その刑罰とは永遠の火の池である地獄に投げ込まれることです。
しかし、神様は罪人を救うために御子イエス・キリストをこの世にお遣わしになりました。
このお方は処女マリヤを通してお生まれ下さった罪なきまことの神であられます。
そして、イエス・キリストは、その生涯の終わりに全人類の罪をその身に背負い、罪の罰を代わりに受け、十字架で死んでくださったのです。
しかし、この御方は死んで終わりではありませんでした。実に、死後3日目に死の力を打ち破って復活されたのです。
誰でもイエス・キリストを自分の救い主と信じるなら、地獄より救われ、永遠のいのちを得て、死んでも天国に行くことができるのです。聖書には次のように記されています。
新約聖書ヨハネの福音書3章16節
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして減びることなく、永速のいのちを持つためである。
どうか、キリストを信じ永遠のいのちを得て、失われることのない確かな希望を持つ方となって下さいますように心からお勧めします。